これは私の個人的な話なのですが、子供の頃によく考えていたことがあります。それは「人が何かの色を見るとき、その色を表す言葉は同じでも、実は一人一人見え方が違うんじゃないか」というものです。それを言葉で表すのは少し難しいのですが、以下のような感じです。

例えば今私の目の前にはコーヒーがあって、それはいわゆる「茶色」をしています。そして恐らく他の人が見てもそれは「茶色」という言葉で認識すると思います(「いやいや、コーヒー色でしょ」と思う人もいるかもしれません)。ここまではとても当たり前のこと。子供の頃の私はその『色を認識する』ということについて、

「その他の人が『茶色』という言葉で認識している色自体は、実は私が『黄色』という言葉で認識している色だったりするんじゃないだろうか。別の人が『青』という言葉で認識している色は、実は私が『赤』という言葉で認識している色なんじゃないか。」

のように思ったりしていたんですね。「色の見え方というのは人によってすごく違っていて、実は一人一人が見ている世界というのは全然違うんじゃないか」といったことを子供の頃によく考えたりしていた。他にも、「なんで自分は今この場所に存在しているんだろう?」「存在するってどういうことなんだろう?」みたいなこともぼんやり考えることが多かった。

多感だったのかそれともすごく暇だったのか。どちらかはわかりませんが、目の前に見えているものとは違う可能性だったり誰も確実な答えを言えない様なことを、夜寝ようと布団に入って天井を眺めながら考えたりしていました。ですがそうやって考えることも成長するにしたがって次第に失くなっていった。おそらくそれは、「色とはこういうものだ」という常識的な考え方が徐々に私の中に確立されていったからなのだと思います。

あとは学校の勉強とかテストとか部活、ゲームといった目の前にある『やるべきだと言われていること』『やりたいと感じること』が私にとってとても価値があり重要なことになっていって、徐々にそういったもので思考が埋め尽くされていったということもあるでしょう。「見ている色は一人一人違うのかも…」と常識とはちょっと違うことを考えるより、目の前のことをやる方が大切になっていった。

ただ大人になった今になって強く感じることは、常識とは違う視点でものごとを考えたり、目の前に実体として見えていないものについても意識を向けてみたりすることは結構大切だということです。

例えば「自分を変えたい、高めていきたい」と思う時、その「変わった自分」は自分の中にイメージとしてあるとは思いますが、目の前に実体として現れているものではありません。他にも例えば『自信』というものも何かを変えていくときにとても大切なものだと散々言われていますが、実体としてあるかというと実体としては存在していない。ですがその両方ともいろんなところでとても大切なことだと言われています。

コーチングをうまく使って自分や現実を変えていこうとする時、ゴールを達成している自分がどんな自分なのかイメージの中で徹底的に確かなものとしていき、そして高いエフィカシー(自分の能力の自己評価)を維持し現実で行動することがとても重要だと説かれます。

ただこれは私の個人的な感覚ではありますが、そういった時に目の前に実体として見えていないものに慣れ親しんでいる経験が少ないと、なかなかそう上手くできない場合が多かったりする。だからこそ「そんなこと考えて何になるの?‥‥」と誰かに言われるようなことでも、疑問を持ったり深く考えたりしてみることは、実は意外と大切なことなんだと感じています。

もちろんそれを誰かに言う必要はありません。物思いに耽るように心の中でそのことについてぼんやりと考えてみるだけでいいと思います。そういう経験を増やすことによって、何かの知識や考え方、心の中のイメージといった『目に見えないもの』『手で触れられないもの』へのリアルな感覚を持ちやすくなっていく。そしてその知識や考え方、心の中のイメージを目の前の現実に落とし込みやすくなっていくはずです。

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