吃音を変えることができたという人の声をネットで検索してみると、「いつの間にか、言葉につまることを意識しなくなっていた」という様な感想を見かけることがあります。私自身吃音が変わっていっているという実感を感じてきた中で、「言葉につまることを意識しなくなっていた」の様な状態でしたし、その感覚は今も持っています。ただ、実際に吃音で悩んでいた頃もその様な感覚になっていくことを知ってはいましたが、「なんで意識しないでおけるんだろう?」と感じていました。書いてある言葉はわかるのだけれど、それを体感している自分がまるで想像できない。自分の何がどう変わっていけばそうなるのかまるで見えてこないという状態です。

以前の私と同じ様な感覚を抱いている人もきっと多いと思います。そして「言葉につまることを意識しなくなっていた」という状態へ変わることがどういうことなのかが少しでも見えてくれば、吃音も変えていくということに臨場感を感じやすくなるはずです。ということで今回、「言葉につまることを意識しなくなっていた」という感覚への変化を、コーチングの観点から掘り下げていきたいと思います。

ネガティブな方向への高い重要性

「言葉につまることを意識しなくなっていた」という感覚。この感覚については様々な考え方ができるとは思いますが、コーチングの観点から観て別の言葉に言い換えるのであれば、「吃音に対して抱いている重要性が下がっていったから」と言うことができます。「重要性」という言葉は、ある対象がどれだけ重要なのかの度合い、といった意味ですが、ここではもっと緩やかな意味で「他の物事よりもより特別に思っているかどうか」ぐらいに捉えてもらってOKです。また「特別」というとポジティブな方向に捉えることを考えがちですが、ここではポジティブだけでなくネガティブな方向に感じている状態も含みます。ですので例えばもしあなたが、「蕎麦はすごく好き。けれどラーメンは嫌い。パスタは普通かな。」という好き嫌いを持っているとしたら、あなたにとって蕎麦とラーメンはパスタより「特別だ=重要性が高い」ということになります。

話を戻して、「吃音に対して抱いている重要性が下がっていったから」という状態があるということは、その逆の「吃音に対して高い重要性を抱いている」という状態が元々あったということです。その状態というのは「言葉につまることを意識してしまうことが多い」という状態であったり、「言えなかったらどうしよう…」「この吃音をどうにかしたい…」といったことを強く考えてしまう状態です。そしてその時の高い重要性がどのようなものかと考えると、そのほとんどがネガティブな方向への重要性だと言えると思います。ネガティブな方向だからこそ「普通に(ニュートラルに)喋れたらどんなにいいか」と思うからです。つまり「吃音に対して抱いている重要性が下がっていったから」ということは、言い換えると「吃音へのネガティブな感覚が小さくなっていったから」ということなのです。

『情動』が重要性を生み出す

ではその『ネガティブな感覚』とは一体何なのか。これは細かくは一人一人違ってくるものではあると思いますが、シンプルに言うと『情動』です。例えば言葉がつまることへの「恐怖」や、言葉がつまることで起こるであろうと予測する状況への「不安」、思っていることを言えなかった経験で感じた「悔しさ」、言葉につまったことを友達に笑われた時の「憤り」、etc…。これまでの吃音に関わる経験や、これから起こるかもしれない吃音が関わる出来事に対して感じる、ネガティブな方向の情動。その情動が自分の心で強く感じられるからこそ、「吃音に対して高い重要性を抱いている」「言葉につまることを意識してしまうことが多い」という状態にもなります。むしろ、そうならざるを得なくなる、という方がより正確な表現になるでしょうか。

「恐怖」「不安」「悔しさ」「憤り」。よほどのことがない限りこういった情動を感じる経験は避けたいと思うはずです。そしてそれを避けるためには、逆説的ですがその情動をまた感じるかもしれない状況にフォーカスを向け意識しておく必要があります。もしその状況に気付けなかったら、その情動をまた感じてしまうことになる可能性が高まってしまうからです。これをわかりやすい他の状況での例えで言うと、例えばできたばかりで熱々の鍋をキッチンからリビングへ運ぼうとする時を考えてもらうとわかりやすいと思います。その時は鍋の中身をこぼしてしまうことを避けるために、鍋の傾き具合や、運ぶ時の身体の使い方、周囲の障害になりそうな物に意識を向け慎重に運んでいくと思います。「火傷するかもしれない」「ラグが汚れてしまう」といった、鍋の中身をこぼすことによって生じる様々なリスクを避けようとするからです。それと同じように、言葉につまることで起こると予測してしまう様々なリスクを避けたいと思うが故に言葉につまることをかえって意識してしまうのです。

吃音へのネガティブな情動。これがどんどん小さくなっていくことで言葉につまることも「結果として」減っていきます。もちろんじゃあどうやってそれを小さくしていくかはまた別な話ではありますし、やり方は一つだけではなくたくさんあるでしょう(その一つの方法としてこのブログではコーチングを実践していくという立場を取っています)。ただ「いつの間にか、言葉につまることを意識しなくなっていた」という感覚の背景で、どのような心の状態の変化が起こっていくのかということは、ここまでの内容で「そういうことか…」となんとなく観えてきたのではないでしょうか。

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