日常を過ごす中では、意識的な思考や行動よりも無意識的な思考や行動の方が圧倒的に大きなウェイトを占めている。だからこそ、自分で決めたゴールへ向けて自分を成長させていこうとする時、無意識の働きを上手に変え、扱っていく事が重要になる。前回の記事ではこの様な事を書きました。

無意識の働きを認め、観察し、上手に付き合っていく

2017.05.02

「自分が意識できている、気付けているものが自分にとっての現実だ。」通常であればこの様に考えると思いますが(この様に明確に言語化している人は少ないかもしれませんが)、ただ実際は自分が意識できている範囲の外で、つまり無意識で様々な情報を処理していて、その無意識の働きの結果が自分に大きな影響を与えています。例えば誰かを見て「あ、かわいい」や「あ、カッコいい」と思った時は意識してそう思ったわけではないでしょうが、ちょっとドキドキしたり「どう話しかけようかな」と考えたりと、それがその後の自分の思考や行動に影響を与えるという事は誰もが経験した事があるはずです。そして自身で設定したゴールへ向けて自分を変え、成長させていこうとする時も、「無意識の働きが大きなウェイトを占めている」という事を前提に考えておいた方がはるかにやりやすくなるのです。

認識と吃音はどの様に繋がっているのか

自分の無意識の働きを変えていくという考え方は、吃音を変えていこうとする時もとても重要な考え方になります。(「認識」という言葉はとても抽象的で定義しにくい言葉ではありますが、「吃音を変える」という文脈の上では、「あ、言えない」と思ってしまう心の働きやその時のネガティブな情動反応の事、だと捉えた上で以下を読み進めてほしいと思います)そう思ってしまう、ネガティブな情動を感じてしまうという時は、ほぼ間違いなく「いつの間にかそう考えていました」「気付いたらそう感じていました」といったもので、自分で意図的にコントロールしていたものではないはずです。ですのでそれは自分の脳・心の中で起きている無意識の働きなんですね。

かつ、「言葉に詰まる事を考えてしまうと、あ、もう無理だっていう感じですね。でも詰まる事を考えていない時は不思議と喋れています」という様な感覚も、吃音を持つ方であれば多くの方が感じていると思います。この点から言っても、吃音を変えようとする時は自分の無意識の働きを変えていく事がとても大切になると言えます。「言葉に詰まる事を考えていない時」を増やしていければ、結果として吃音も変わっていくはずだからです(これは何気に重要です)。

脳のはたらき方が少し違う

ただ時々、認識が変わるから吃音も変わるという事について「何かしっくりと来ないというか、それは具体的にどういう事なんでしょうか?」といった質問を頂く事があります。それがどういう事かはシンプルに言うと上に書いた通りではありますが、より詳しいところを考える上では、吃音の症状について何が大きな影響を及ぼしているのかを考えていくとわかりやすいはずです。

その事についてまず考えられるのが物理的な側面です。言い方を変えると、発話行為に関連する身体器官の器質的な要因や、脳内の神経レベルや機能レベルでの何らかの異常といったもの。この点については吃音を研究されている方の著書や論文を調べてみてもらうとわかると思いますが、「吃音を持つ人とそうでない人では、発話行為に関わる身体器官での器質的な違いは見られないが、脳内の神経レベルや機能レベルにおいてはその形成のされ方や働き方に明らかな違いがある」というのが今現在のコンセンサスの様です。「吃音を持つ人とそうでない人では、脳の形成のされ方や働き方がちょっと違っている」という事は、自身の吃音を冷静に把握する上でも私は知っておいた方がいいと思っています。

余談ですが、研究の結果として、吃音を持つ人とそうでない人の脳の形成のされ方の違いについて、ある程度部位的・局所的な特定はされてきている様です。ただ、それらが発吃における直接的な要因となっているものなのか、それとも発吃の経験を経てきた中での脳形成の結果なのか(生きていく中で経験する事柄によって脳内の神経接続は大きく変わっていきます。いわゆる「可塑性」と呼ばれる脳神経が持つ性質ですね)、はまだよくわかっていないというのが現状の様です。

「吃音を持つ人とそうでない人では、脳の神経接続や機能において明らかな違いはあるものの、発吃の要因を特定するまでは至っていない」という事です。相関関係がある事はわかっているが、はっきりとした因果関係はまだわかっていないという事ですね。この辺りについては吃音を研究されている方々も鋭意追求中かと思います。個人的に影ながら応援させて頂きつつ、これからの素晴らしい成果を期待したいところです。

「喋れる時もあれば喋れない時もある」の謎

話を戻して、ここである疑問が浮かんできます。それは「脳の形成のされ方や働き方に明らかな違いがあると言うけど、どうして言葉がスムーズに出てくる時もあれば出てこない時もあるんだろう」という疑問です。もし「言葉を発する」という行為に関連する脳部位に決定的な異常があるのであれば、いつも言葉がスムーズに出てこないはず。ですが「自分一人だけの時は普通にスムーズに喋れます。けれど誰かがいるとどうしてもダメですね」という人もいたり、「あ行の言葉を言おうとする時は詰まってしまいます。他の行ならそうでもないんですけどね」という人もいます。

背理法で考えその疑問の一つの答えとして言える事は、「吃音を持つ人でもスムーズに発話するために必要となる脳の神経接続や機能はすでに形成されていると言える」です。そうでないと上の様な事が起こる説明がつきません。そしてそこから容易に想像できる事は、吃音を持つ人は「言葉に詰まってしまう状態になる脳の神経接続や機能」と「言葉をスムーズに発するための脳の神経接続や機能」の両方をハイブリッドに備えているはずだ、という事です。またそれは言い換えれば、吃音を持っている場合でもスムーズに喋るための土台はもうすでにあるんだ、という事でもあります。

認識の仕方は一人一人違っている

では「スムーズに発話できる時もあれば、そうできない時もある」という現象はどの様に起こっていると言えるのか。言い換えると上の二つの「脳の神経接続や機能」はどの様にオン/オフが切り替わると言えるのか。これを考える上でちょっとした思考実験を行ってみたいと思います。その思考実験を行う上で、以下の様な状況を想定します。

Aさんという吃音を持つ人がいました。そしてAさんは、Bさんと話す時はスムーズに発話できると感じているけれど、Cさんと話す時はうまく発話できない事が多いと感じています。一方、同じく吃音を持つDさんがいました。ただDさんは、Bさんと話す時はうまく発話できない事が多いと感じていて、Cさんと話す時はスムーズに発話できると感じています。

上の想定した内容をシンプルな表にするとこうなります。

Bさんと話す時 Cさんと話す時
Aさん スムーズに話せる 言葉に詰まる
Dさん 言葉に詰まる スムーズに話せる

この時のポイントは、AさんとDさんとでは言葉に詰まってしまう状況が全くの反対だ、という点です。(現実においては実際はもっと複雑になるとは思いますが、あくまでも思考実験なのでシンプルに考えます。ただ同じ様な状況が現実でも起こりえそうな事は、吃音の症状が人によって大きく異なる事から考えると「まあ、確かにあるかも」と同意して頂けるんじゃないかと思います。例えば「年下と話す時は大丈夫だけど目上の人と話す時はダメですね」という人がいればその逆の人もいる様にです)

なぜこの様な状況が起こるのか。もし仮にAさんとDさんの両方とも、「Bさんと話す時はスムーズに発話できるけれど、Cさんと話す時はうまく発話できない事が多い」と感じているのであれば、「Cさんと会話する状況」という客観的な事実の中に要因が隠れてそうです。ですが、AさんとDさんが感じている「発話できる・できない」という感覚は全くの逆です。かつ、Aさんから見ようとDさんから見ようと、Bさんが持つ人としての客観的な特徴、Cさんが持つ人としての客観的な特徴は全く同じありそれが変わる事もありえません。

そこから自ずと言える事は、「スムーズに発話できる時もあれば、そうできない時もある」という事は、「Bさんと話す」「Cさんと話す」という第三者目線からの客観的な事実によるものではなく、それぞれの本人の主観的な認識の結果によるものだ、という事です。AさんがBさん(もしくはCさん)と話す時に「目の前にBさんがいる(Cさんがいる)」という事を把握するためには、今目の前にいるBさん(Cさん)を、Aさんが持っているBさん(Cさん)に関する知識(=過去の記憶)と照らし合わせ、「今目の前にいる人はBさんだ(Cさんだ)」という事を同定する必要があります。もちろんこれはAさんだけでなくDさんにおいても同様です。

(ちなみに今この文章を読んでいるあなたが、誰かを「あ、〇〇だ」と認識できるのもそういった事を無意識で行えているからです。そしてそれができるからこそ、例えば恋仲にある異性を日によって間違えたりする、といった悲惨な事態を経験せずにも済みますね。何ともありがたい話であると同時に、画像認識技術がここ三、四十年程でやっと進歩してきた事を考えると、脳の認知機能の凄さも実感します。)

そしてこれは当たり前な事ですが、どの様な知識を持っているのか、どの様な事を記憶しているかは人によって必ず違います。つまり「Bさん(Cさん)に関する過去の記憶」は、AさんとDさんでは大きく違っている。「Bさん(Cさん)に関する過去の記憶」が違うのであれば、「AさんにとってのBさん(Cさん)」、「DさんにとってのBさん(Cさん)」という、それぞれにとっての主観的な捉え方は大きく変わります。例えば、これまでBさんとたくさん遊んできたのであれば「楽しい時間を過ごせる友達」という様な感じでBさんを捉えるはずですし、これまでBさんから仕事で散々怒られてきたのであれば「あまり一緒にいたくない先輩」という様な感じでBさんを捉えるはず。つまり「自分にとってのBさんの位置付け」と「自分にとってのCさんの位置付け」が、AさんとDさんでは必ず異なるという事です。

シンプルな状況を想定しての思考実験を行ってきましたが、何をお伝えしたかったかというと『「目の前の人物の自分にとっての位置付け」をどの様に判断するかの違いが、「スムーズに発話できる時もあれば、そうできない時もある」という事が起こる要因となっていると言える』という事です。そしてここでは「誰に対して発話するのか」を考えてきましたが、「どんな言葉を発話するのか」についても全く同じです。「あ行は言えるけど、な行はダメです」という人と「あ行はダメだけど、な行は言えます」という人の違いは、その「あ行の言葉」「な行の言葉」の自分にとっての位置付けをどの様に判断したかが違うのです。

以前の状況と似ているかどうか

では「自分にとっての位置付け」のどの様な違いが、「発話できる・できない」という点に大きな影響を与えると言えるのか。それはシンプルに言うのなら『「自分がこれまで言葉に詰まってネガティブな評価をしてきた状況(人・言葉)と似ているかどうか」の無意識での判断の違い』だと言えます。今の自分の目の前の状況(誰に向けて発話するのか・どんな言葉を発話するのか)が、これまで言葉に詰まってネガティブな評価をしてきた(悔しい思いをした、自分を責めた、等々)状況と「似ている」と判断されるかされないかで、「発話できる・できない」も大きく変わってくるという事ですね。

これは当たり前と言えば当たり前で、先ほどの「あ行は言えるけど、な行はダメです」という感覚も、これまで「あ行は言えた」「な行は言えなかった」という経験を繰り返してきたからこそ感じるわけです。仮にもし一度もな行の言葉で詰まった事がないのなら「な行はダメですね」と感じるはずがありません。そしてほとんどの場合、な行の言葉が言えなかった時に「また言えなかった…」とネガティブな情動を伴った評価もしてきているはず。「普通に喋れる様になりたい」と思っている時、言葉が詰まって言えないという経験は余程の事がない限り自分にとってネガティブに評価されやすい事だからです。そしてその「自分がこれまで言葉に詰まってネガティブな評価をしてきた状況(人・言葉)と似ているかどうかを判断する事」こそが、冒頭に書いた「認識が変わるから吃音も変わる」の「認識」の部分の、より詳しい内容にあたります。

ですので「認識が変わるから吃音も変わる」とは言い換えれば、『「自分がこれまで言葉に詰まってネガティブな評価をしてきた状況(人・状況)と似ているかどうか」の判断が変わるから、吃音も変わる』という事になります。それはまた言い換えれば、冒頭でも書いた「言葉に詰まる事を考えていない状態」を自分にとっての当たり前にしていくという事です。だからこそ、自分の無意識の働きを変えていくという考え方は、吃音を変える上でも大切になります。繰り返しになりますが、ここまで書いてきた認識における過程はほとんど無意識で行なっている(ほぼ自分では気付けていないので「行なわれている」という方が正しいかもしれませんね)事だからです。

吃音を変える事を目的にしない

と、ここまで「認識が変わるから吃音も変わる」という事について詳しく掘り下げてきました。ここまでの内容を読んでみてもらった事で、その言わんとしている事もより深くわかってもらえたのではないかと思います。ちなみに吃音に関連する認識を変えていく上では、吃音へのネガティブな情動反応を変えていく事が重要になるという事は、これまでの吃音に関する記事でも書いてきました。

その理由をシンプルに言うのなら、ネガティブな感覚が強ければ強いほど目の前の状況を「似ている」と判断しやすくなってしまうから。ネガティブな感覚を感じるという事は自分にとってそれは避けたいという事でもあります。そして避けるためには目の前の状況を認識する上で「以前の言葉に詰まった状況」と照らし合わせる事をより優先的に行うのが一番。そうする事で「似ている」という事を見逃してしまう確率を減らせるからです。(余談として、そのネガティブな情動(恐怖、不安、嫌悪、等々)を司っているのは脳の「扁桃体」という部位になります。そして、言葉に詰まる時は詰まらない時に比べ扁桃体が強く活性化している傾向がある、という事も吃音の研究によりわかってきている事でもあります。)

認識を変えていくための方法は様々あると思いますし、そのどれを採用するかは一人一人が自分で選択する事です。そしてそのための方法の一つとして、コーチングの理論を実践し自己変革していく事を私はセッションでお手伝いしています。そしてその時、吃音を変える事そのものを目的にはしません。「吃音を変えたい」という事だけに強く執着してしまう事で、かえって認識は変わりづらくなると言えるからです。「吃音を変える」という事を目的にするという事は、吃音をネガティブに強く感じている自分を前提になってしまいます。そうする事で暗に吃音に関してネガティブに感じている自分を強く肯定してしまい、その状態から離れにくくなる恐れがあるのです。

ですのでセッションの中ではコーチングの理論を基に、want toでありかつ現状の外側にあるゴールを定め、そのゴールへ向けて自分を変え成長させていく、つまりゴールへ向けて自己変革を行なっていきます。そしてそのゴールのイメージの一要素として普通に喋っている自分を組み込む様にしていく。現在の自分の「吃音」という一要素だけを変えていくのではなく、現在の自分を丸ごと変えていく中で「吃音」という一要素も変えていくイメージです。そうしたゴールを設定し、そのゴールを達成するに相応しい自分自身への臨場感を高め、その結果として起こしたくなる行動を起こしていく。この一連を繰り返していく事で、吃音に関するネガティブな情動反応やその認識が変わっていく流れを自然に作っていく事ができるからです。もちろん「吃音を変えたい」という思いを否定するわけではありませんが、そこに必要以上にとらわれず、あくまでもゴールを観ていく、ゴールに意識を注いでいく事をセッションではお伝えしています。

 

「認識が変わるから吃音も変わる」という点が理解しにくい要因の一つとして、そもそも「認識」が無意識であるが故に、そういった心の働きやネガティブな情動反応に対して自覚的に気付いていない事があります。ただ、今回そして前回の記事を通じて、無意識の働きがあるんだという事を理解し、その上で日常での自分の心の動きをつぶさに観察してもらう事で、その無意識の働きが占めているウェイトの大きさにきっと気付くはずです。そしてその無意識の働きをこれから変えていく事こそが、吃音を変える事、そして自分を変え成長させていく上でもとても大切になっていきます。

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