「他人と自分をつい比べてしまって、どうにも気分が落ち込んでしまう事が多くて…」という声を聞く事は結構多いですし、実際にコーチングセッションを行う中でもよく頂く相談でもあります。私自身、「他人と比べなくても大丈夫です。比べるならゴール側の自分と比べていきましょう」という立場ではありますし、クライアントさんにもその様に伝えています。

ただ、その様な相談を受ける時は「他人と比べる必要はないんだ、という事は頭ではわかっているのですが、なかなかそうできなくて」という心の状態も伴っている場合がほとんどです。頭ではわかっているけれど身体が付いてこない感覚です。

という事で今回は「他人と比べる必要はないんだ」という事を自分の奥深くまで腑に落とす手助けになればという思いも込めて、他人と自分とを比べてしまうマインドの働きについて考察していきたいと思います。

比べるから理解できる

まず、そもそもとして「なぜ他人と自分を比べてしまうのか」について考えていきたいと思うのですが、これは考えてみればすごくシンプル。「比べる」という行為は自分にとってあまりに当たり前な事だからです。

例えば今あなたはこの文章を読んでいると思いますが、何故あなたはこの文章を読めるのでしょうか。言い換えると、何故この文章を理解できるのでしょうか。

それは日本語に関する多くの知識を持っているからです。小学生の頃から(早い人はもっと前かもしれませんね)数え切れないほど、日本語で書かれた文章を読み、その意味内容を理解し、そして自分の考えを周囲の人に伝えるために日本語を使ってきた。そういった経験を基にした日本語に関する知識が蓄積しているからこそ、あなたは今この文章を読み、意味を理解している。とても当たり前な事です。

そしてその「文章を読み、意味を理解する」という行為を一歩深めて考えてみると、「今あなたの目に映っている文章」と「あなたが持っている日本語に関する知識」とを比べ、「今あなたの目に映っている文章」を「あなたが持っている日本語に関する知識」のいずれかと同定する作業を繰り返している、と考える事ができます。これもすごく当たり前な事ですが、見た事も聞いた事もない様な外国語を読もうとしてみれば、その感覚がよくわかるはず。

例えば「ကျေးဇူးတင်ပါတယ်။」というどこかの古代文字としか思えない言葉を見ても、多くの人は(日本人は)何の事やらさっぱりだと思います。「ကျေးဇူးတင်ပါတယ်။」という言葉に関する知識を持っていない事により、比べども比べども言葉が表す意味を同定できないからです。

(ちなみに「ကျေးဇူးတင်ပါတယ်။」とはビルマ語(ミャンマーの公用語)で「どうもありがとう」という意味らしいです。読み方は「チェーズーティンパーデー」との事。引用元:http://wikitravel.org/ja/ビルマ語会話集 より。ちなみに私は読めたわけではありませんのであしからず)

「比べてなくていい」の本質

上記では「文字」「言葉」という事を例に上げましたが、それにとどまらず「あれは〇〇だ」とか「これはこういうものだ」という風に私達があらゆる対象を同定する時というのは、今の自分が持つ知識・過去の記憶と比べ、照らし合わせる事ではじめてそうする事ができます。

会社の同僚を見て「この人は〇〇さん」とわかるのも、美醜(カッコいい・カッコ悪い、可愛い・可愛くない、等々)を思わず判断してしまうのも、何かに対して抱く好き嫌いも、全てがそれらを判断する基準となる、自分が持っている知識・過去の記憶と比較するからこそできる事。そう考えると上記の、「比べる」という行為は自分にとってあまりに当たり前な事だ、という事もすんなりくるのではないかと思います。

つまり私たちは常に、自分の外界にあるものと内界(脳に蓄えられた記憶)とを絶え間なく比べ続け、今外界が自分にとってどの様な状況なのかを評価・判断しながら生きているという事です(そこから一歩進めて外界も内界もないと考える事もできますが、ここではわかりやすくするため分けて考えています)。

だからこそ「比べる」という事はあまりに当たり前な事なのです。というかそれができないと自分にとっての何らかのリスク(身の危険等々)を見逃してしまう可能性が高まり、自分の生命維持すらおぼつかなくなります。よって人にとってそうする事は必須な性質だと言えるのです。

そしてその伝から言うのなら、「他人と自分を比べる」という行為は「他人」と「自分」の関係性を明らかにしようとしているだけだ、と考える事ができます。自分にとって相手がどの様な存在か(敵?味方?等々)を測ろうとしているわけですね。

ここまでの事を踏まえて、改めて「他人と自分を比べる」という事を考えてみるとある事がわかります。それは「他人と自分を比べる」という事そのものが本質的に悪い、というわけじゃないという事。良い側面もあると言えるのです。それができるからこそ例えば「自分と相手が別の人間だ」という事も認識できますし、それができるからこそ例えば(少々極端な例えかもしれませんが)恋愛を楽しむ事だってできるとも言える。

と、冒頭の主張である「他人と比べる必要はないんだ」という事と真逆の意味になる様な事を書いてきましたが、、、ここまでの内容を一言でまとめるのなら、『「他人と比べる必要はないんだ」という主張の意図の本質は、「他人と比べること」そのものを避ける事じゃない』という内容になります。

マインドの働きの方向性

では何を避けようとしているか。それはシンプルに言うと、他人と比べる事で自分に起きている事であり、そこから派生して起きうる事です。

それらを考える上では冒頭に書いた「他人と自分をつい比べてしまって、どうにも気分が落ち込んでしまう事が多くて…」というよくあるつぶやきを改めて考えてみると何なのかがすぐわかるのではないかと思います。

上記の内容を図式化すると、「他人と自分を比べた」→「気分が落ち込んだ」 という事になる。つい先ほど、他人と自分を比べる事そのものが悪いというわけじゃない、という事も書いてきました。そこから導き出される事は、上記の「気分が落ち込んだ」という部分が、避けようとしていることだという事です。言い換えると、ネガティブな方向の情動を生じさせてしまう事を避けようとしている、という事です。

そしてそれが何故かは、先ほどの「他人と比べる事で自分に起きている事であり、派生して起きうる事」の後半部分について考えてみると自ずとその答えも見えてきます。すなわち「ネガティブな方向の情動が生じる事で起こりうる事」とは何か、という事です。

私自身も何度も経験がありますが、ネガティブな情動にとらわれてしまっている時、前向きに考える事ができずに何もやる気が起きないというのはよくある状態だと思います。苫米地英人博士がよく言われる言葉で言うのなら「IQが下がっている」という状態であり、脳の部位である前頭前野の働きが抑えられ大脳辺縁系が優位になっている状態ですね。

無論、その時はゴール側のイメージを膨らませたり、ゴールへ向けて何かを計画したり実際に行動を起こしたりといった事も取りづらくなってしまいます。つまり、マインドが現状維持の方向へと働きやすくなってしまう。そしてその「マインドが現状維持の方向へと働きやすくなってしまう」こそが「派生して起きうる事」であり、「他人と比べる必要はないんだ」という主張で避けようとしている事なのです。

 

ここまでの内容をまとめると、「他人と自分を比べる」という行為によって生じるネガティブな方向の情動にとらわれてしまう事で、マインドが現状維持の方向へ働いてしまわない様にするために「他人と比べる必要はないんだ」という主張がある、となります。

(ここで「現状維持でもいいんじゃないんでしょうか」という疑問を感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、本ブログはコーチングがメインテーマなので「現状を変えようとしている」という事を前提として話を進めています)

というわけで「他人と比べる必要はないんだ」という事について、ここまで深掘ってきました。念の為としてお伝えしておきますが、ここまでの内容が唯一の考え方というわけではなく、他にも考え方は様々あると思います(例えば「一人一宇宙」という立場から考えてみたりです)。ただ、ここまでの様に論理的に「他人と比べる必要はないんだ」という主張の意図を紐解いてみると、その本質もより明確に捉えられる様になるのではないかと思います。

次回は今回の内容を踏まえ、いかにして「他人と比べる必要はないんだ」という事を自分の奥深くまで腑に落としていくかを考えていきたいと思います。

 

 

 

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