周りの人が自分をどう見ているのか、どう思っているのかが気になってしまって、ストレスが溜まり疲れてしまう。その様な事を感じている人は結構多いのではないかと思います。

少し前に、一人で食事をしているところを誰かに見られて「あいつは友達がいないんだな」と思われるのが嫌だから、トイレで食事を済ませる若者が増えている、という様なニュースが話題になった事はあなたも覚えているんじゃないでしょうか。

周囲の人が自分をどう思っているのかを考える事そのものには何の良し悪しもないとは思いますが、確かにそれが行き過ぎてしまうといろんな不都合も出てきてしまいます。

なぜ周囲の目を気にしすぎてしまうのか。それは人によって理由は様々あるでしょうし、その分析も様々あると思います。その上で一つの見方として考えるのなら、「周囲の人が自分をネガティブな方向へ評価する事で、自分の価値が相対的に下がってしまうんじゃないか」の様に感じてしまうからだと言えます。かつ、その事に対してネガティブな情動がしっかりと紐付いているから、です。

「他人から良く思われていないと自分の価値は下がる」の様な考え方・捉え方が、無意識レベルでその人にとっての当たり前になっているんですよね(恐らく上の様に言語化されているわけでもないと思います)。

上の考え方は言い換えれば「自分が思う事や考える事よりも、他人の考えが正しくて重要だ」という事であり、つまり「他人>自分」になっていると言えます。むしろ、自分がどう思うのかという事は全く考慮に含めようとしていない、と言ってもいいかもしれません。

ただ、「他人>自分」という事を絶対的に考えてしまう事はすごくもったいないのです。私達は一人一人が『自分』を通して、その人にとっての現実を認識できます。例えば、あなたが今この文章を読んで「そういうことか」と思えたのも、『あなた』がいるからこそできる事。

ドライに言うのであれば、画面から発せられた光をあなたの『目』という身体器官を通して知覚し、知覚した情報をあなたの『脳』で解析しながら過去の記憶と比較し何らかの評価を下しつつ、その過程の結果としてあなたの『心』という抽象度のレベルにおいて「そういうことか」と思ったから、という事です。

当たり前ですが私達は死んでしまったらどうする事もできない様に、『自分』が無くなってしまっては、見ることも聞くことも感じることも、思うことも考えることもできません。『自分』がないとその人にとっては何も存在し得ないし、『自分』があるからその人にとっては様々な事が存在し得るのです。

そう考えていくと、自分よりも他人の方がいつも正しいと思ってしまったり、自分の評価を他人任せにしてしまう事はとてもおかしいし、とてももったいないとわかると思います。自分が感じたり思ったり考えたりする事をないがしろにしていいはずがないのです。『自分』が決める、自分の評価や価値をもっと大切にしてもいいんですよね。

 

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