例えばカフェで注文したコーヒーを受け取る時、家族が作ってくれた食事を食べる時、職場の同僚が気をきかせてくれた時。日常で人と関わりコミュニケーションを取る中で、誰かが自分の為に何かをしてくれる機会はたくさんあると思います。そしてそういう時「ありがとうございます。」「美味いしかったよ。ごちそうさま。」「お~、助かるわ。ありがとね。」と感謝の気持ちを伝える人もいれば、何も言わず無言で受け取ったり食べたりする人もいます。「すみません」と思わず言ってしまっている人もいるでしょう。

誰かが自分の為に何かをしてくれる。施してくれる。そのような機会は意識していなければ気付かないぐらい、日常の中にはたくさんあります。だから誰かが何かをしてくれることを『当たり前』だと思い、次第に何にも感じなくなっていき、誰かが自分の為に何かをしてくれたとしてもそこに気付くことなく、さらっと流してしまうことはよくあるのではないでしょうか。ですがその『当たり前』を改めて考えてみると、とても貴重でとてもありがたいことなんだと気付きます。

自分のために、限りある『時間』を使ってくれている

例えばカフェで注文したコーヒーをカウンターで受け取る時。コーヒーを受け取り飲む為には、店員さんにコーヒーを準備してもらう必要があります。店員さんがコーヒーを準備するにはカップを準備し、カップにコーヒーを淹れ、フタを閉めて‥と、いくつかの手順を踏む必要がありその為にいくらかの時間がかかる。もちろんこちらはお金を払っていますし、お客さんにお金を払ってもらったらお店側で準備する、というのがカフェの中でのルールなのだと思います。ですので確かに『当たり前』ではある。

ですがその当たり前の見方をちょっと変えると、『自分のためにコーヒーを準備する』ということに対して、店員さんが持つ限りある『時間』を使ってくれているという風にも考えられます。自分がコーヒーを注文しなければスタッフの方はもしかしたら今日のデートのことを考えられたかもしれないし、もしかしたら大学の試験のことを考えられたかもしれない。店員さん自身のために、その時間を使えたかもしれないんですよね。

自分がコーヒーを注文することでお店のルールに従い、コーヒーを準備した。店員さんのために使えたかもしれない限りある時間を、自分のために使ってくれた。さらに見方を変えるのなら、自分の為に命を削ってくれているとも言っていいかもしれない。そう考えると、一見すると当たり前である『コーヒーを準備してもらう』という行為がとてもありがたいものだと思えてこないでしょうか?

たった一言で、相手にとって『意味があるもの』に変わる

自分の為に相手が限りある時間を使ってくれているんだ、という感覚。その感覚を持って人と関わったりコミュニケーションを取っていると、自然と相手に対して感謝や敬意といった気持ちが浮かんでくるようになります。そしてその気持ちから自然と出てくる『ありがとう』という言葉。個人的にその『ありがとう』を伝えることは、人との関わりの中でとても大切なことなのだと感じています。『ありがとう』を相手に伝えることで、自分のために相手が使ってくれた時間に光が当たり、相手にとってその時間が何らかの『意味があるもの』に変わる可能性がある。

それは「誰かの役に立てている」という誇らしさかもしれませんし、「やってよかった」という嬉しさかもしれない。もちろんそれは相手が決めることで『ありがとう』を伝えるこちらが決めることじゃない。ですが『ありがとう』一つで、相手はその時間を、自分を認め、肯定する為の材料にしやすくなります。

さらに言えば、自分の価値を高める機会を与えてくれる人に対して、適当に接したり、邪険に扱ったりすることはないでしょう。もし自分がそうされたら?と考えると、その答えは自ずと出てきます。少なくとも私はそのような人との関係は絶対に大切にしますし、逆にこちらからその人へ何らかの形で報いたい、と感じます。

『ありがとう』の一言。その一言を続けることで、人とのコミュニケーションは変わっていきます。そしてそうすることは何も難しいことじゃありません。日常の当たり前を当たり前とせず、その当たり前に隠れているものに目を向ける。その視点を持って人と接していると『ありがとう』を伝えられる機会は思った以上にたくさんあることに気付きます。そして同時に『ありがとう』を伝えることが自然と新しい自分らしさにもなっていきます。

 

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